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東京高等裁判所 昭和59年(行ス)1号 決定

抗告人(申立人) 閔洪九

相手方 福岡入国管理局主任審査官

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告状記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

(一)  抗告理由一の2ないし4について

本件記録によると、抗告人は、昭和五八年一二月二四日法務大臣に対し、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)六一条の二に基づく難民認定申請を行い、同日右申請は受理されたが、法務大臣は、抗告人は難民条約にいう政治的意見を理由とする迫害を受けるおそれがあるとは認めがたいとして、抗告人につき難民の認定をしないこととし、その旨の通知書を昭和五九年三月一四日抗告人に交付したことが一応認められる。

したがつて抗告人は、本件裁決当時ないし本件退去強制処分当時も現在も、認定された難民ではないので、法六一条の二の八に定める特別在留許可の特則、更に法六一条の二の五に定める永住許可の特則の適用を受けられないことは明らかである。もつとも抗告人は、右の認定しない処分につき法務大臣に異議の申出をしていることが記録上窺われるから、なお難民認定の余地は残されているとはいえ、そのこと自体は、直ちに本件裁決ないしこれを前提とする本件退去強制処分の適法性に影響はない。不法入国した難民と称する者に退去強制をするか否かを判断するのに、法に定める難民認定を先決し、又はこれを前提とすべき規定は存しないからである。ただ、難民とは、法二条三号の二所定のとおり、難民条約の適用を受ける難民を実体的にいうのであるから、不法入国者から難民である趣旨の申述がある以上、法に定める難民認定手続如何にかかわらず、入国審査についての裁決にあたり、法五〇条一項三号による特別在留許可をするかどうかの前提として、難民であるか否かにつきその段階での判断をし、裁決の資料とすべきものと解される。

そこでこの見地から、抗告人が難民にあたらないとの右判断の可否について検討することとする。

本件記録によると、抗告人は、昭和三七年一一月一一日、本籍地の朝鮮咸鏡南道北青郡北青邑四八班において朝鮮人父閔史淡、同母季曽尊の間の三男として出生成育し、中学校を卒業後、同五五年平安南道南浦市所在の朝鮮人民軍第九九七部隊に入隊し、下士として軍務に服していた朝鮮人であるところ、昭和五八年一〇月三〇日ころ軍隊を脱走し、朝鮮南浦港に停泊中の日本籍貨物船第一八富士山丸に潜入したが、同年一一月三日対島沖の公海上において同船の船員に発見され、同月四日、法七〇条一号、三条一項違反の容疑で海上保安官に逮捕され、福岡入国管理局入国警備官に引き渡されたことが一応認められる。

抗告人は、右脱走等の理由として、昭和五八年一〇月一七日、抗告人の書いた朝鮮の官僚主導の政治体制を批判する「独裁社会と民主主義社会に対する私の見解」なる文書を秘密警察員に摘発され、右文書に関し一〇日間にわたり尋問を受け、同月二七日には、旅団保衛部長から軍団保衛部長に対し抗告人を早急に「処理」すべき旨の電話をしているのを聞いたが、右「処理」とは、秘密裡に抹殺するとの意味であると理解していたため、日本への亡命の意思を固め実行したものであることをあげ、右事実は、抗告人が昭和五八年一〇月三〇日ころ沖合二キロメートル先に碇泊中の第一八富士山丸まで泳いで同船に乗りこんだものであり、そのころは南浦港は厳寒の海であつたことを考えると、抗告人は生命を賭して本国逃走を図つたものというべく、しかも朝鮮が反体制の政治的意見に対し不寛容であることに徴しても、推認しうるところであるから、抗告人は、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すると主張する。

しかし、本件記録によると、(イ)右文書の摘発及びこれに対する処罰ないし制裁の蓋然性については、抗告人の入国警備官、入国管理官に対する各供述、口頭審理における陳述、面会した代理人弁護士に対する陳述があるけれども、抗告人の供述に一貫性を欠く点があり(当初は氏名経歴すら偽つて供述していた。)、たやすく真実と受取れない部分もあるうえ、右供述によつても、少くとも、抗告人が兵士であるのに現実には反体制的言動のため身柄の拘束も受けることなく、外出も自由に認められていたことが一応認められるから、抗告人において政治的意見を理由に(軍隊脱走や密出国について処罰されることは当然であるが、これは難民とは無関係である。)迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する場合に客観的に該当するとはいえない。

もつとも、(ロ)本件記録によると、抗告人が昭和五八年一〇月三〇日ころの夜間、沖合二キロメートル先に碇泊中の第一八富山出丸まで泳いで同船に乗りこんだことが一応認められ、その気候条件等を考慮すると、抗告人にとつては、主観的には生命を賭して右行為に出たことが窺えるけれども、(ハ)抗告人が脱走兵士であることは前認定のとおりであり、本件記録によると、朝鮮においては軍隊を脱走しあるいは朝鮮の地域から脱出した者は、銃殺を含む厳重な処罰を受けるおそれのあることが一応認められ、脱走する以上、生命を賭さざるをえないわけであるから、右(ロ)の事実があるからといつて、それが政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるからであるとは到底いえない。

かえつて、本件記録に徴すると、抗告人の我が国への入国の動機は、我が国が自由主義国で以前からあこがれており、風俗・習慣も比較的朝鮮に近く、朝鮮・韓国人が多いため、自由を求めて二年位前から我が国への密航を考えており、今回これを実行したというにすぎないことが一応認められるのである。

以上説示したところによれば、抗告人は、難民すなわち「人種、‥‥又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、‥‥国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの‥‥」(法二条三号の二・難民条約一条A(2)・難民の地位に関する議定書一条2)にあたるとは認められないというべきである。

以上説示のとおりであるのみならず、仮に抗告人主張のような迫害の恐怖があるとしても、法務大臣による法五〇条に基づく特別在留の許否については、法に具体的基準の定めもなく、特に本件のようにいわゆる不法入国者がその入国にあたり発見、逮捕され、一応難民と申述しているような場合は、法務大臣に極めて広汎な自由裁量権があるものというべく、(認定された難民についての特則の適用が本件にはないことは前記のとおりであるが、この特則も裁量によつて適用されるのである。)右判断が重要な事実に誤認があること等により全く事実の基礎を欠き又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかな場合に限り違法とされるものと解すべきところ、以上説示したところを総合すると、本件裁決には裁量権を逸脱し又は濫用した違法があるとは到底いえない。

なお、抗告人は、右裁量権濫用について結論をするにあたり、証拠によつて確定された諸事実を前提としなければならないのであり、そのためには本案訴訟の中での適法かつ厳格な証拠調べを必要とする旨主張するけれども、執行停止については疎明によるのであるから、抗告人の右主張は採用できない。

(二)  抗告理由一の5について

疎乙第一一号証によれば、本件退去強制令書による送還先は、ひろく法五三条の規定に基づく送還先とされており、仮に本件退去強制令書による送還先が、執行の段階で具体的に朝鮮あるいは韓国とされることがあるとしても、抗告人が法二条三号の二の難民にあたらないこと前示のとおりであるうえ、それは執行上の問題であるにすぎず、当然退去強制の違法を来たすものではない。また韓国に送還した場合、朝鮮に残した家族に迫害が加えられることがあるとしても、それ自体法五三条三項に該当しないこと明らかである。のみならず、法五三条二項によれば、外国人をその国籍国に送還することができないときは、本人の希望により「その他の国」に送還することができるものであるから、行政庁の政策的ないし人道的配慮にまつべく、本件退去強制処分がいわゆるノン・ルフールマンの原則に違反するものとはいえない。

(三)  抗告理由二について

抗告人は、抗告人に対する本件退去強制令書の執行が停止されなければ、同令書発付取消を求める裁判を受ける権利が侵害される旨主張するけれども、仮に本件令書が執行され、抗告人が外国に強制送還されたとしても、訴訟を追行することは困難となることを免れないが、だからといつて直ちに我が国において本案について裁判を受ける権利を失うわけではないから、右主張は採用しない(最高裁昭和五一年(行ト)五号同五二年三月一〇日決定、判例時報八五二号五三頁)。

三  以上のような次第で、本件執行停止の申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に該当するものというべきであるから、その余の点につき判断するまでもなく失当として却下すべく、これと同趣旨の原決定(原決定にその他違法と認めるべき点はない。)は相当であり、本件抗告は理由がないので棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 小堀勇 柏原允 山崎健二)

(別紙)

抗告の趣旨

一、原決定を取消す。

二、相手方が昭和五八年一二月二六日付で抗告人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、送還部分に限り、本案判決が確定するまでこれを停止する。

との決定を求める。

抗告の理由

一、原決定の誤りについて

1 原決定の要旨

原決定は要するに、(一)、抗告人は未だ法務大臣より難民認定を受けていないことのみならず、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある者にも該当せず、出入国管理及び難民認定法(以下、「法」という。)二条三号の二にいう難民にあたらない、(二)、仮に難民にあたるとしても、法五〇条に基づく在留許可の許否、特に本件のようにいわゆる「不法」入国者がその入国にあたり発見、逮捕されたような場合の許否については、法務大臣に極めて広汎な自由裁量権があり、重要な事実に誤認があること等により全く事実の基礎を欠き、又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかな場合に限り違法と解すべきところ、本件裁決にはかかる濫用性は認められない、(三)、抗告人を大韓民国に送還することは難民条約三三条、法五三条三項のいわゆるノン・ルフールマン原則に違反しない、よつて、本件執行停止申立は「本案について理由がないとみえるとき」に該当する、というものである。

しかし、(一)は事実を誤認し、(二)及び(三)は法律の解釈を誤つたものであり、原決定はその理由を欠き、取消しを免れない。

2 抗告人が難民であることについて

原決定は、抗告人は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある難民であるとの主張に対し、「右文書の摘発及びこれに対する処罰ないし制裁の蓋然性については申立人の供述があるのみでこれを客観的に裏付ける資料は皆無であり・・・難民に当たるとは認められない」と述べている。

しかし、抗告人らが執行停止申立書及び反論書の中で論述しているとおり、一般に難民の認定とりわけ迫害を受けるおそれの有無の認定に関しては、本人の陳述の合理性、信ぴよう性の存否を中心に行なうほかはないのであつて、その陳述を裏付ける客観的資料の不存在を以つて難民性を否定するのは、難民認定に関する証拠法則自体を誤つたものといわねばならない。

なお付言すると、難民認定については本人の陳述に即して行なわねばならないという原則は、抗告人らが独自の見解として主張しているものではなく、実は、法務省の入国管理行政のエキスパートと目される山神進氏の著書(日本加除出版「難民条約と出入国管理行政」八頁)においても説かれていることである。参考のために、その部分を引用することとする。

「本人が申し立てる迫害のおそれについての証拠を厳格に要求することは、本人に著しい負担を課すこととなる。難民は、しばしば何の書類をも所持しないで本国を去り、また、その主張を支持できるような証人がいる可能性も少ないと思われるからである。・・・特に顕著な場合(一般人にとつて自明な場合)を除けば、個々の外国人が本国に戻れば迫害を受ける可能性がどの程度あるかについては、個々のケースにおいて、その本人の供述の信ぴよう性(クレデイビリテイー)の存否を判断するしかないと思われる。」

そうだとすれば、裁判所は本案訴訟の原告本人尋問手続を通して、「本人の供述の信ぴよう性」を判断すべきであり、抗告人と一度も対面することもなく、その供述の信ぴよう性を否定することはできないはずである。そのためにも、執行停止決定が下されねばならない。

3 抗告人が迫害を受けることの推定について

さらに、抗告人が本国を脱出した際の事情に照らしても、抗告人が迫害を受けるおそれにつき十分に肯首し得ると思料される。

抗告人は昭和五八年一〇月三〇日ころ、沖合二キロメートル先に碇泊中の「第一八富士山丸」まで泳いで同船に乗り込んだ(この事実は疎甲第一号証の「船べりにたどりついて我が国公民を船上に引き上げ・・・ぬれた服をぬがせ・・・」との平壌放送に関する記事によつて裏付けられる。)。

この抗告人の行動を理解する際、南浦港の緯度と気候条件を念頭に入れておかねばならない。そのころ、既に南浦港は厳寒の海であり、その海を二キロメートル泳ぐこと自体、生命を賭した行為にほかならないのである。勿論、その途中で発見された場合も軍隊脱走、国外逃走で厳刑に処せられることは覚悟しなければならない。このように、少なくとも、抗告人が生命を賭して本国逃走を図つたものであるということについては、疑う余地のないところであるといわねばならない。

問題は、何故に抗告人が生命を賭してまで、本国から脱出しようとしたのか、という点にある。自らの生命、身体にさし迫つた危険が存在しない者が、果して生命を賭して脱出を図るであろうか。山神氏の前記著書の中にも、オランダ高官の「生命の危険をおかしてまで脱出するのだから迫害を受けるのであろうとの推定が働く。」との言葉を引用されておられるが(同一四及び一五頁)、この推定は本件においてもそのままに妥当するものである。しかも、朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」という。)が、反体制の政治的意見に対し不寛容であることは、公知の事実であり、この点に照らしても、右の推定は強く働くといわねばならない。

以上の理由により、抗告人は政治的意見により迫害を受けるおそれがあるとの推定を受ける者である。また、その意味で、抗告人の供述には裏付けがあるということもできるのである。

なお、抗告人は本国及び軍隊を脱出しているのであるから、もし、本国へ送還されればそのことによつても処罰を受けるであろう。しかし、だからと言つて、抗告人は本国及び軍隊を脱走したことにより処罰を受けるだけであり、政治的理由により迫害を受ける者とは認められないという原決定の認定が、論理すり替えにすぎないことは既に反論書で指摘しているとおりである。

4 自由裁量論の誤りについて

原判決は法務大臣による法五〇条に基づく在留許可の許否について、前述のとおり無定量に近い裁量権を認めている。しかし、その解釈論が誤りであることについては、抗告人が執行停止申立書及び反論書に詳述したとおりであるので、敢てここでは再論しない。

ただ、ここで次の二点だけ強調しておきたい。その第一は、法六一条の二の五に基づく法務大臣の在留許可は、法五〇条の場合と異なり、原則として在留許可を行なうこととされているという点である。これは山神氏の前記著書五五頁に、「難民の認定を受けている者は、実質上、素行が善良でありさえすれば永住許可を受けることができることになる。」と論述されているとおりである。

従つて、抗告人が法務大臣より難民であるとの認定を受け、または、難民に該当しないとの認定が行政訴訟の結果取り消された場合には、抗告人に在留を許可するか否かについての法務大臣の裁量の余地は極めて限定されることとなる。原決定は法六一条の二の五に基づく在留許可に関する法務大臣の裁量権を法五〇条に基づく場合とほとんど同列に解釈しているようであるが、これは明らかに誤つている。

第二に、一般に裁量権の濫用に関する判断は、裁量の範囲に広狭あるとしても、諸般の事情を総合的に考慮した上で決せられることに変わりはない。従つて、証拠によつて確定された諸事実を前提としなければ裁量権の濫用の有無について結論を下すことはできないはずである。その為には、本案訴訟の中での適法かつ厳格な証拠調を必要とすることは明らかである。

原決定は裁量権濫用に関する認定方法についての基本原則を無視したものといわねばならない。

5 ノン・ルフールマン原則について

原決定は要するに、大韓民国(以下、「韓国」という。)が受け入れを表明しており、同国へ送還すればノン・ルフールマン原則に反することにはならないと言いたいのであろう。

しかし、第一に確かに韓国政府の在留職員はこれまで抗告人本人に対しては韓国行きを勧めているが、しかし、韓国政府から公式に受け入れについて表明がなされた事実は存在しないのである。従つて、韓国が受け入れを表明しているとの原決定の認定も、結局は明確な根拠が存するとはいえず、本件退去強制令書の執行の結果共和国へ送還されることとなる可能性も依然として存在している。

第二に、仮に韓国が抗告人の受け入れを受諾しているとしても、共和国と韓国とはいわゆる第三国の関係には立たない。日本政府自身が朝鮮半島を代表する唯一、合法の政府は韓国であると一貫して表明していることからも裏付けられるとおり、客観的には共和国と韓国とは一つの国家の中に実際上存在する二つの統治主体という関係にすぎないのであつて、共和国側から見ても、韓国側から見ても、あくまで国家としては一つである。

然るに、法五三条三項は「難民条約三三条一項に規定する領域に属する国」への送還を禁止しているのであるから、抗告人を共和国に送還することがノン・ルフールマン原則に反するのであれば、韓国へ送還する場合も全く同様のこととなることは明らかである。原決定の解釈論は法五三条三項の条文の文言を不当に無視したものといわねばならない。

二、裁判を受ける権利と執行停止の必要性

憲法三二条の保障する「裁判を受ける権利」は外国人も享有することについては学説、判例上争いがない。

ところで、抗告人が難民に該当するか否か、また抗告人に対する法五〇条及び六一条の二の五に基づく法務大臣の裁定が裁量権の濫用に該るか否かについては、本案訴訟において適法かつ厳格な証拠調に基づいて判断されるべきことは前項で述べたとおりである。しかし、抗告人がもし退去強制令書によつて外国へ送還されることとなれば、かかる訴訟追行が事実上ほとんど不可能となることは明らかであり、抗告人に認められた裁判を受ける権利の行使が著しく制約される結果となることは明白である。

また、退去強制令書の執行が終了し、一年を経過すると(法五条一項九号)、令書取消しの訴の利益自体が消滅し、抗告人は退去強制令書取消判決による救済を受けることができなくなつてしまう。一般に事実的強制により執行する行政処分については、その執行が終るとその処分取消しの訴の利益は消滅するものと解するのが裁判例であり、法にも令書取消判決を得た外国人について無条件で入国させる規定も存しないのであるから、法五条一項九号後段及び一〇号の場合を除き、退去強制令書の執行が終ると、その取消しの訴の利益は消滅するものと解するほかはないのである(司法研修所編、司法研究報告書三四巻一号「行政事件訴訟法に基づく執行停止をめぐる実務上の諸問題」一五三ないし一五四頁)。

以上の二点に照らし、抗告人に対する退去強制令書の執行が停止されなければ、同令書発付取消を求める裁判を受ける権利が侵害されることとなることは明らかである。

またそうであるからこそ、これまでの退去強制令書執行停止に関する事案についても、右の二つの点を考慮し、「本案の理由の有無の判断を、本案における審理にほぼ全面的に委ねたまま、積極的な審査、判断をすることなく、執行停止を認めるのが、裁判の一般的な傾向である」(同研究報告書一六七頁)とされてきたのである。

なお、最高裁昭和五二年三月一〇日第三小法廷決定(判時八五二号五三頁)は、結論として確かに退去強制令書の執行は裁判を受ける権利を侵害するものではないと判示している。しかし、同決定も令書執行が裁判を受ける権利の行使を大きく制約するものであることは否定していないのであつて、そのことが直ちに違憲となるものとまでは言えないと述べているのであり、しかも、訴の利益の消滅については何も触れていない。最高裁が訴訟追行の著しい困難さに加え、訴の利益の消滅についてまで考慮した場合に同様の結論を採るか否か、同決定では未だ不明というべきである。

三、本件の重要性と慎重審理の必要性

本件は我が国が難民条約加入後、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれのある者が日本へ在留を求めてきた最初の裁判例になることと思われる。

従つて、本件の裁判結果は、今後のインドシナ以外からの難民の在留をめぐる裁判に対する先例として大きな比重を占めることとなろう。

その意味で、本件が真にそれらの先例としての役割を果し得るように、本案訴訟の中で充分に審理され、慎重に判断さるべきものと思料するものである。

原審決定の主文及び理由

主文

本件申立てを却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

一 本件申立ての趣旨は、相手方が昭和五八年一二月二六日付で申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、送還部分に限り、本案判決が確定するまでこれを停止するとの決定を求めるというにある。

二1 よつて按ずるに、一件記録によれば、申立人は昭和三七年一一月一一日本籍地の朝鮮咸鏡南道北青郡北青邑四八班において、朝鮮人父閔史淡、同母李曽尊との間の三男として出生成育し、北青城東中学校を卒業後、同五五年平安南道南浦市所在の朝鮮人民軍第九九七部隊に入隊し、下士として軍務に服していた朝鮮人であること、申立人は同五八年一〇月三〇日ころ軍隊を脱走し、朝鮮南浦港に停泊中の日本籍貨物船第一八富士山丸に潜入したが、同年一一月三日対島沖の公海上において同船の船員に発見され、同月四日、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)七〇条一号、三条一項違反の容疑で逮捕され、福岡入国管理局入国警備官に引き渡されたこと、同警備官から申立人の引渡しを受けた同局入国審査官は、申立人が法二四条一号に該当すると認定したこと、申立人は同局特別審理官に口頭審理を請求したところ、同月一四日、同審理官は入国審査官の認定に誤りがない旨判定したこと、そこで申立人は法務大臣に対し異議の申出をしたところ、法務大臣は同年一二月二〇日、右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をしたこと、右裁決を受けた相手方は同月二六日申立人に対し退去強制令書を発付した(以下「本件処分」という。)こと、申立人は本国に父母の外、兄二人、姉、妹、弟が在住しているが、我が国には係累も居住歴もなく、日本語はいささかも解さないこと、申立人は二一才の独身者であり、健康状態は良好なこと、なお申立人は昭和五八年一二月二四日法務大臣に対し難民認定申請を行い、同日右申請は受理されていることが一応認められる。

2 申立人は、本件裁決は申立人に対し特別在留を許可しない旨の判断を含むものであるところ、申立人は朝鮮において政治的理由により迫害を受けるおそれがあつて法二条三号の二に規定する難民に当たり、我が国に政治亡命するため入国した者であるから、法務大臣の右判断は、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び法六一条の二の八の趣旨に反するばかりか、人道に反し、法務大臣に認められた裁量権の範囲を逸脱したか、裁量権を濫用した違法があり、本件裁決を前提とする本件処分も違法であると主張する。

申立人が朝鮮からの脱走兵士であることは右に認定したとおりであり、一件記録によれば、朝鮮においては軍隊を脱走しあるいは朝鮮の地域から脱出した者は銃殺を含む厳重な処罰を受けるおそれのあることが一応認められる。しかし、法六一条の二の八は法により難民の認定を受けた者を対象とする規定であるところ、申立人がいまだ法務大臣により難民の認定を受けていないことは明らかである。のみならず、難民とは、「人種、・・・又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、・・・国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの・・・」(難民条約一条A(2)、難民の地位に関する議定書一条2)をいうから、単に軍隊からの脱走又は朝鮮の地域から脱出したことにより処罰を受けるおそれのある者はこれに当たらないものというべきである。

申立人は、右脱走等の理由として、昭和五八年一〇月一七日、申立人の書いた朝鮮の官僚主導の政治体制を批判する「独裁社会と民主主義社会に対する私の見解」なる文書を思想取締りの秘密警察たる保衛隊に摘発され、右文書に関し一〇日間にわたり尋問を受け、同月二七日には、旅団保衛部長から軍団保衛部長に対し申立人を早急に「処理」すべき旨の電話をしているのを聞いたが、右「処理」とは、秘密裡に抹殺するとの意味であるため、日本への亡命の意思を固め実行したものであることを挙げ、従つて申立人は、その政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあると主張する。

しかしながら、一件記録によるも、右文書の摘発及びこれに対する処罰ないし制裁の蓋然性については申立人の供述があるのみでこれを客観的に裏付ける資料は皆無であり、また、右供述によつても申立人は現実には身柄の拘束も受けず外出も自由に認められていたことが一応認められるのであつて、いまだ申立人において「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有」し、法二条三号の二にいう難民に当たるとは認めることができない。

また、申立人がその主張のとおり前記文書の摘発ないし政治的意見のゆえに迫害されるおそれがあつたと仮定しても、法務大臣による法五〇条に基づく在留許可の許否、特に本件のようにいわゆる不法入国者がその入国にあたり発見、逮捕されたような場合の許否については、法務大臣に極めて広汎な自由裁量権があるものというべく、当該外国人が本国から迫害を受けるおそれがある者に当たる場合でも、その者に対する本国における迫害の態様、程度、我が国への入国動機、経緯、第三国による引受けの有無、在留を認めた場合の我が国の負担の程度、その国際的影響等を総合的に判断して法務大臣においてその許否を決することができるのであり(難民の認定を受けている者についても法務大臣に特在許可の許否につき自由裁量権があることは法六一条の二の八の規定から窺われる。)、右判断は重要な事実に誤認があること等により全く事実の基礎を欠き又は社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかな場合に限り違法とされるものと解すべきところ、一件記録によれば、本件裁決にあたり法務大臣には重大な事実の誤認はないこと、申立人の我が国への入国の動機は我が国が自由主義国で、風俗・習慣も比較的朝鮮に近く、朝鮮・韓国人が多いからというにすぎないこと、申立人と人種・言語を同じくし自由主義国である大韓民国は申立人の受入れを表明していることが一応認められ、これらの事実を前記認定の申立人の脱走及び入国の経緯、申立人と我が国との結びつき等を総合すると、本件裁決には裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した違法があるとは到底認められない。

申立人は、法二条三号の二にいう難民に当たる者については、国の安全又は公の秩序を害する場合(難民条約三二条一項)又は「国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益」を害する場合以外は法務大臣は特在許可を与えるべき義務があると主張するが、独自の解釈であり、採用できない。

また、申立人は、特在許可を与えられたいわゆるインドシナ難民よりも難民性が顕著であるから、申立人に対して特在許可を与えないのは不公平であると主張する。しかし、一件記録によれば、インドシナ難民の定住受入れは、我が国が国際連合加盟国の一員として国際的規模で問題となつていたインドシナ難民救済の一環として行つたものであり、本件とは全く事情を異にするものであることが一応認められるから、右主張は理由がない。

3 次に申立人は、本件処分は、事実上朝鮮と大韓民国に限定された送還先を強制するもので難民条約三三条、法五三条三項のいわゆるノン・ルフールマン原則に違反するか、著しく不当であると主張する。

しかしながら、仮に申立人が法二条三号の二にいう難民に当たるとしても、右各条項により送還できないのは朝鮮に対してのみであり、大韓民国に申立人が送還され、申立人が「政治的宣伝」に利用された結果、朝鮮に残した家族に危害が加えられるとしても(危害の程度、蓋然性についての客観的資料は存在しない。)、右各条項に当たるものでないことは文言上明らかである。のみならず、法五三条二項によれば、外国人をその国籍国に送還することができないときは、本人の希望により「その他の国」に送還することができるものであるから、本件処分が右各条項に違反するものとはいえない。

三 以上によれば、本件申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に該当するから、その余の点を判断するまでもなく失当として却下することとし、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。

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